最近の日本では60歳の定年を迎えても、延長して働くのが普通になりました。
ようやく子育てが終わった年代の女性達は、働くことや親の介護で 気持ちや時間を取られてしまう方がとても多いです。
またどんなに健康な人であっても、40代を超えた頃から あまり無理が重なると壊れてしまうようになるので、意識して自分の健康を保つことも大切になってきます。
心がぐったりと疲れてしまうほど忙しく過ぎ去る日々の中で、現代は時間のスピードが速く なかなか心の羽を休めてゆったりとこの世界の美しさや幸せを感じる余裕が持てません。
読むとホッとする、目の前の幸せに気づき感動する気持ちを取り戻す、次は自分の夢を叶える一歩を踏み出す勇気を持てる・・
そんな場所を作れたら・・と思い このblogを立ち上げました。
そして私がこれからの世界に対して感じることを少し書いていきたいと思います。
本質はどこにあるのか?
これからそう遠くない未来に(おそらくあと3・4年もすれば)ほとんどの仕事(誰かの面倒なことをやってあげる仕事)がなくなっていくでしょう。
ほとんどの仕事はAIが人よりも効率的に、文句も言わずやってくれるようになっていきます。
そうなった時に きっと「人」はみんな哲学者のようになるでしょう。
我は何ゆえにここに存在するのだろうか・・?と。
例えば私達がもし思いもかけずに90歳まで生きてしまって、その時にAIが完全介護してくれる老人ホームに入ったとしましょう。
快適な環境でAIに手厚く介護されても、それはただ快適なだけでしょう。
丁度良い温度、丁度良いカロリー、丁度良い薬、丁度良い運動を促され生きていたとして、それで本当に満足できるでしょうか?
生きている心地はするのでしょうか?
ただ快適に生きているだけではないのでしょうか。
人はやはり誰かに必要とされていなければ、生きている心地がしない生き物なのだと思います。
今後は「如何にAIに勝つか?」や「如何にAIを使いこなせるか?」ではなく、「如何にAIと競合しないか?」ということの重要性が増すと思います。
AIは統計的に勉強をして最適解は出すけれど、新しいもの、人が卒倒して倒れるほどの感動するようなものを生み出すことはできません。
人にできることは気持ちや痛みに共感すること。
そして自分のことのように思うこと。
自分の原体験になるほどの感動を持つことがあること。
挑戦すること。
ある意味で泥臭い、これらのことこそが人間の、ヒトという生き物の本質である気がします。
なぜならこれ以外にAIとの差はないと感じるからです。
多くの和をもった人たちが集い、それぞれの個性をお互いが一番の宝物と感じる仲間がいる 居場所を作っていけたら楽しいだろうな・・と思います。
それは一人一人の経験を価値に変えて、自分も周りも豊かに生きていくことだと思います。
わたしのこと
私自身はものづくり作家で、主婦で子供が二人いて(もう大きくなりました)来年90歳になる親が健在で、不動産のパートをしています。
NYで個展の経験があります。
一人旅でパリに2回、NYとブルックリンに2回行きましたが、次はヨーロッパの列車の旅をすることと、しばらくの期間パリに住む経験をしてみたいと思っています。
そしてこれからの時代、こんなに楽しい場所があったんだ!と皆が思ってくれるような
AIが生まれ変わって「自分も人間になりたいんだ!」って思うような(??)楽しい場所を想像し、創造していけたらいいな・・と夢見ています。
そしてその中では私は一人のものづくり作家として、頭に浮かんだ自分のイメージが魔法のように
掌の上でかたちになる幸せを、一人でも多くの人と楽しみながら分かち合っていけたらいいな・・と思っています。